平和省イメージ
 
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■ 勉強会および
運営委員会オフラインミーティングの開催


4月11日(土)に開催しました。

勉強会のテーマは、「私の考える平和省」です。

4月11日(土)12時30分集合(時間厳守)

◆集合場所)京王多摩川駅・調布寄り出口(競輪の日は臨時口に注意)


勉強会のテーマは、「私の考える平和省」です。

今回、話題提供してくださるのは大塚卿之さんです。

大塚卿之さんが考える平和省のイメージを伺い、その後参加者で討議します。

会場 : くら七世代  地図
     東京都調布市、京王多摩川駅の近く
     京王相模原線京王多摩川駅下車徒歩11分
     京王線調布駅下車南口バスのりばCバス停、
         多摩川住宅西行き乗車5分、
         電通大グランド前下車徒歩3分

第1部 昼食会  1時〜1時40分  参加費500円

    勉強会の前に、参加者の皆さんで昼食会を持ちます。
    昼食会は、多摩川7丁目公園で行います。そこまでは吉田さんが引率します。
    万一、集合時間に遅れた人は、吉田さんの携帯電話に電話してください。
    各自のお弁当は、各自で用意してください。皆さんそれぞれ嗜好も違うでしょうし、
    食べ物に関する考え方も違うでしょうから、会としてまとめて用意することはしません。

    会場(くら七世代)へ移動

第2部 勉強会  2時〜4時  参加費200円

    テーマは、「私の考える平和省」です。
    話題提供 大塚卿之さん

第3部 運営委員会  4時10分〜7時  参加費300円

      1)平和の書店における本の紹介の方針について

      2)次回の勉強会のテーマと講師について

      3)第四回平和省地球会議に行っていただく代表を検討
        その渡航費補助について

      4)その他

    ここで、いったん解散。
    時間に余裕のある方、もっともっと話をしたい方は、
    オプショナルで第4部があります。

第4部 晩餐とお泊り

    第1部で書いたこととは矛盾しますが、料理を用意します。
    従って、人によっては召し上がれないものが出る可能性もあります。
    そのところをご承知の上で、参加ください。
    実費およそ1500〜2000円を頂戴します。



■ 勉強会の報告


4月11日(土) 14時50分〜16時40分

大塚さんのお話

中国を旅行して思ったこと

 2月の送別会の時に、魯参さんが中国旅行に誘ってくださった。
 3月末に道元禅師が行かれた天童寺を訪ねた。聯(れん)と呼ばれる柱にかかった文字板に、「諸悪莫作 諸善奉行 自浄其意 是諸仏教」と書かれているのを発見して、とっさに考えたことがあった。
 「もろもろの悪は為す無し、もろもろの善はうやまって行おう、おのずから其の意浄まらんと、これ諸仏の教えなり」とでも訳したらよいのでしょうが、昔から言われているこの「わるいことは本来無い、良いことはうやまって行おう」ということを人類は個人の目標として掲げ営々と歩んで来たわけだが、それを国家の目標や理想として一度でも掲げられたことがあっただろうか。
 中国の歴史は長いがほとんどが戦乱の繰り返しである。
 西安まで行って世界遺産になっている兵馬俑と秦の始皇帝陵も見学した。通訳の説明によると、始皇帝は13歳の時に即位し、そのときから自分の墓を作り始め50いくつかで亡くなるまで作り続けた。その間、75万人の人が墓の造営に携わった。墓の存在する場所を隠すために、始皇帝は墓の造営に携わったその75万人を殺したとのことだった。それが権力というものかと驚いた。
 石窟寺院なども見たが、顔が壊されている仏像が多かった。異民族の侵入などもあったであろうが、文化大革命でも破壊している。 これも国家権力のなせる業。
このような事例に限らず、国家権力は悪をなすものと痛感した。まさに国家エゴイズムである。
 戦争放棄というが戦争だけを放棄することはできない。国家エゴイズムを放棄することによって戦争が放棄できるのである。

和田重正氏の考えを基礎とした大塚さんの考え

 私の恩師、故和田重正氏は1971年に「国家エゴイズムを超えて」を刊行して、「みんなで国に理想を掲げよう」という提唱をした。それはキューバ危機の際にどうしたら人類は核戦争による人類絶滅から逃れることができるかを考えつめた時に浮かんだ構想であった。
 核兵器の出現により「強い国が勝ち残れる」といったそれまでの論理が通用しなくなり、核戦争を始めたら人類そのものが滅亡するのであるから、世界各国は運命共同体の一員として全く新しいシステムを構築しなければならなくなったはずである。
 その新しいシステムは従来の国家観である国家エゴイズムを超えて、世界福祉国家に生まれ変わることである。その生まれ変わりにもっとも近い位置にあるのが日本ではないか。何よりも日本には平和憲法があること、経済的に豊かであり世界に貢献できる国力があること、国民の教育レベルも高いこと。島国であるから外国からの侵略に遭いにくい、などの理由が挙げられるであろう。
 私はこのような話を聞いたとき、わくわくした。もし、国家というものが生まれ変わって、全世界の平和のために日本が存在するとしたら、我々は生き甲斐ができる。自分が 直接やらなくて も、家族が福祉や介護のために働いてくれることで、誇りに思うしうれしい、あたかも自分がやっているような気持ちにもなる。輪が広がって、地元の自治体がいいことをやってくれるなら、誇りに思える。まして、世界に名誉ある地位を占めようと、国がやってくれるなら、自分がやっているような気もする。社会全体が良い方に向かう事になる。一つの目標ができただけで、日本は 世界に誇れるのだ。そのように思えたら、若者もやる気が出る。いろいろな分野で社会に貢献できると夢を持つことができる。国家が目標を持つ、国家に理想を掲げるとは、そういうことではないか。

「平和省」とは、「平和省」を作る運動とは、

今本さんが論文で次のように書いている。
「日本における左派勢力の衰退 ⇒ 従来の「護憲・平和」運動の挫折

「平和省設立」運動の意義・・・・反対運動ではなく、国家行政機関の「新設」
を目的とする立法化推進のための市民運動(ロビイ活動)は、これまでの平和市民運動とは一線を画す動きであると同時に、政治的決定に「一定の」影響力を行使する可能性がある。」
 これに加えて、平和省そのものを作るだけでなく、国民の意識改革にも繋がるはずだ。と言うのが私の考えである。
 和田重正氏と親しかった伊藤隆二氏が和田重正氏の思想を敷衍して2001年に「『平和省』をつくろう」という題の論文を学士会会報に掲載した。その中で平和省の仕事として「人類史を繙き、これまでに勃発した戦争を徹底的に分析し、人間が戦争する諸要因を解明し、戦争が二度と起こらない方策を研究する。そのためには平和研究に真撃に取り組んでいる内外の学者を嘱託にして、国際的規模での大掛かりな研究体制をつくる必要がある。」と述べている。
 私もこの意見に賛成で、筑波研究学園都市全体の規模を上回るくらいの規模で研究を行い、世界に研究成果を発信していく。日本がこのように世界の平和に貢献できる事を誇りに思える。
 私個人の希望的考えとしては、平和省は他の省庁と同列にあるのではなくて、国是としての平和立国を実践する省として他の省を見渡せる位置にあって欲しい。
 また、平和省の各部局として、伊藤隆二氏は、次のものを挙げており、これで良いと思う。
「平和研究局」「軍縮促進局」「平和維持局」「平和留学生援護局」「平和教育局」(それぞれの内容は、平和省プロジェクトJUMPホームページの「『平和省』をつくろう--「力の論理」から「愛の論理」へ--伊藤隆二」を読んでください。)

最終的には教育の問題

 デニスクシニッチさんの主張の中で取り入れるべきは、平和省は国際間の暴力だけでなく家庭内暴力も含むすべての暴力の排除をも考えている点である。すから、暴力を使わないで良い方法を生み出すんだと言うことが大切。最終的には教育の問題。
 伊藤隆二氏の主張は、「現在は、力の論理がはびこっているから、これを愛の論理にすべきだ。」ということである。「なぜ人は戦争するのでしょうか。その要因は多様ですが、単純化すれば、自分(自国や自民族)が相手(他国や他民族)よりも多くの利益を得たいと望み、それが阻止されれば攻撃する、それが戦争の主要因といってもよいでしょう。
そして攻撃する方が相手よりも強ければ、多くの利益を得ることになります。それは「力の論理」といわれます。今、その「力の論理」を廃棄することが求められているのです。(伊藤隆二)」
 それは、教育において一番はっきりしている。今の教育は、受験戦争であり、相手を倒すこと、一種の暴力である。それを是認し、増長させている。 友達が敵に見えてしまうのは、おかしい。教育がおかしい。そこから治していかなければならない。
 私は現在、高校生たちと接していて、子ども達に平和の話をすると、「それは理想である」という。それは彼らが受けてきた教育の結果だ。悪循環である。
 その中にあっても、「環境問題はどうしたら良いか」と本気で話しかけてくる生徒がいる。その問題でならば(教師と生徒という関係ではなく)友達のように話すことができる。平和の問題と環境問題は今や同じ問題と言ってよいであろう。
 平和省設立のための平和創造運動において、教育活動は遠回りのようで一番の近道かもしれない。

国家に理想を掲げることが大事

 国家に理想を掲げ、新しい文明を作り出すことを始めるようにしていかなければならない。
それに向かって宣言し、実行すること。それを国民が支持するか。時間はかかるが、決して夢ではない。また、それ以外の方法は無い。

 結論として言うならば、私の平和省構想とは最初に言った「諸悪莫作 諸善奉行」を国家のあり方として研究、実行する機関であります。しかし平和省が創設される暁に何かよいことが期待されるというのではなく、創設までの国民的意識改革こそが何よりも意味を持つということです。

討議

教育が進まなくても平和省を創設することはできるのではないか。

北朝鮮が人工衛星を打ち上げると言っているとき、「ミサイル」の発射だと大騒ぎする国民が大勢いる状態のまま、平和省ができてもたかがしれている。国民の意識がもっとまともにならなければ話にならない。時間を掛け底辺から盛り上げてゆくことが必要。

私の平和省のイメージは、憲法裁判所。憲法に照らしてこの法律がいかに違反であり、私たちの理想から離れているかを論議していく。

自分の中に潜む自分(差別意識)をどうするかを誰も論議しない。それをやるのが平和省の役割ではないか。
相手を尊敬するのが平和の文化、相手を軽蔑するのが戦争の文化。うっかり相手を軽蔑する言葉を発信しようとしたとき、相手を尊敬する言葉で発信できるようにするにはどうすればよいかを考える。そのような生き方を選択するのかどうか。

軍隊は必要がないということを真っ正面から議論してゆくことが大事だ。

平和省の機能と裁判所の機能で重なりそうな部分がある。刑事裁判では、国家対国民の問題である。民事裁判では、二つの民間の個人・企業などの争いで、法律に照らし合わせて、仲裁したり、判断して命令したりする。裁判より緩いものもある。たとえば、調停があり、また、和解がある。これらは、裁判所が命令を下すというよりは、お互いの折り合いを付けるための方法として取られている。すなわち裁判所は、紛争解決のための仲介をしている。もし、平和省が紛争解決のための仲介をしなければならなくなったとき、もっともっと緩い立場を取らなければならないと考えている。裁判所による調停は、権威をもって、法律を基に画一的な結論を出さざるを得ない。もし、平和省が仲介をする場合は、裁判所の調停とは違ったものとならなければならない。仲介とは、紛争の当事者に意見を言わせるだけでなく、仲介者自身も自分の意見を言わなければならない。自分の意見を言うということは、当事者に働きかけことになる。本来、紛争の解決は、当事者だけができる。当事者だけで解決できるのが理想だが、いったん仲介が始まると、何らかの解決に至る事が期待されてしまう。この期待がプレッシャーとなって、介入(力を感じさせる)になってしまう危険がある。原則的に、平和省は仲介や介入はしない方向で考えたい。

平和省がいろいろな提言をするのは良いが、紛争解決の成果を平和省に義務づける考えを取ってはならない。

実態調査が必要だ。現在どのような問題があるのかを調査することが必要だ。そうした実態調査に基づいて、どこにそのような解決の方向があり得るかを探る。その探求に基づいて、あるサゼスチョンが出てくる。それを対外的に発信する。それが提言ということだと思う。ノウハウの提供というのは、もうちょっと具体化したものだと思う。ここまでは、大塚さんの巨大な平和研究所というアイデアと一致する。これは、平和省の重要な一部門であると思っています。教育・トレーニング・広報は、また別の部門として必要。教育への援助・・・自らが教えるのではなく、紛争を解決する機関をどのようにして設けてゆくかという、そのような提言が平和省の機能としてあっても良いと思っている。

平和省ができたては稚拙であっても良いと思っている。できてしまえば、教育にフィードバックしてくる、たとえば、小学校でピーストリップが行われ、平和省が人の運動の中からできたという一つの事実と、だから、日本は平和に対してものすごく考えているのだという誇りのようなものが国民の中に浸透してくる。学級討論をするきっかけになる。

防衛省と平和省の関係で言えば、防衛省に対して平和省が協力する事もある。たとえば、敵地に侵攻した場合、現地の人たちとの関係をどのように持つべきか(戦闘員同士では、撃ち合いはやむを得ないが、非戦闘員に対しては、いきなり撃つべきではない、と言うようなこと。)等の兵士に対する教育。

アメリカでは、デニス・クシニッチが提案している平和省の中味に(国防省が)関心を持っている。なぜなら、軍隊の中にものすごい暴力がある。軍隊内の暴力について解決するのに、平和省のノウハウが利用できるのではないか、と期待している人たちがペンタゴンの中にいる。 実態調査では、歴史研究が凄く大切。現在、歴史研究の多くは各国が独自に行っている。そのため、各国の間での食い違いが大きい。共同研究で共通の歴史認識を持つようにすべきだ。歴史研究で付け加えたい。いくつもの戦争があった。なぜ、どのようにして戦争に突入してしまったのか。何があったら戦争を回避できたのかを細かく分析した歴史教科書が無い。そのようなものができていれば、戦争を回避する努力が的確に為されてゆくに違いない。